3月下旬は花が咲いて、山も可愛らしい華やかで「春がきた~。」って感じでしたが、4月中旬にもなると木々が芽吹いて「緑・緑・緑ー!」になっていました。
今回はヨモギ摘みを楽しもう!っと始まりました!
食べ物には目がないEさんは、大きな大きな袋を片手に無心でヨモギを摘んでいました(笑)
勿論、子ども達と 親「いい匂いだね~。」 子「ん~いい匂い!」と匂いを嗅いだりお話しながら摘んでいました。袋の中には小さなバッタや名も無き草(大人は雑草と呼ぶ)も沢山入っていました。
ただ・・・。Rくんだけは一生懸命に名も無き草を袋に集め、それを見守っていたRくん母。
その袋を持ち帰り、帰宅した父さんがその袋を不思議そうに見ていたとの事。微笑ましい家族の顔が目にうかびます(*^_^*)
Rくん良いお土産話ができたね。
広場につくと各々遊び始め、気が付くと3人で何かを見ていました。
まだ、一緒に遊んだりするのは難しい年齢な3人ですが、こんな後ろ姿は母達は嬉しいものです。
これから一緒に育とうね。
話は変わり・・・
最近の感じた事なのですが。子供の「ごめんね。」についてです。
いっぽには7ヶ月の赤ちゃん~3才の子ども達が参加していますが、まだ「ごめんね。」を言えません。言えなくて当然なのですが、2~3才になると叩いた・押したなどのトラブルは出てきます。
親としては子に「ごめんね。」を言ってほしいですが、子はもじもじするだけですよね。
「ごめんね。って言いなさい。〇〇ちゃん痛かっと思うよ。」と先回りして教え「ごめんね。」と子に言わせる事ってよく有るし、これも一つの答えなのかもしれませんが、これって子の成長の為にはどうでしょうか?
自発的?子どもの心に根付くのかな?何に対して「ごめんね」してるのか感じてくれてるのかな?
人の心も体も傷つける様な人になってほしくない。
森のようちえんの篠秀夫さんは以下の様に言っていました。
子どもに、“ゴメンナサイ”を声を荒げてまで強く言わせようとするお母さんはいっぱいいます。
でも、子どもは“ゴメンナサイ”の意味はよく分かりません。
痛かったのは自分ではないからです。
でも、“ありがとう”は分かります。嬉しかったのは自分だからです。
そして、“ありがとう”が素直に言える子は、“ゴメンナサイ”も素直に言うことができます。
そしてそれは、お母さんが子どもにも“ありがとう”と素直に言って上げることで身に付いていきます。
最近トラブルメーカーの長男Kくん。声のかけ方に苦戦しますが、先回りして私の持っている答えを教えるのではなく、彼の心の育ち・育とうとする力を信じて見守りたいとおもいます。
帰宅後に作った草団子。ヨモギの香りが季節を感じさせてくれました。